皆さんは呪い代行というサービスをご存知でしょうか。一時は少し変わった代行サービス、や、インターネット特有のビジネス特集などでテレビなどにも取り上げられたこともあるようで、昔に比べれば知名度も高まり、知っている人も多いかもしれません。特にネットニュースなどに敏感な方なら、こんなサービスがあった!や、各ブログやまとめニュースなどで取り上げられたりもすることで、見たことある、聞いたことあるという率が普通の肩よりも高いことでしょう。
しかし、では依頼したことがある方は?となるとどうでしょうか。ネット上での依頼が中心なので依頼者の顔が見えにくく、また普通のサービスとは違って後ろめたさもあることでしょうから、依頼者の存在は潜在的なものとなっています。FacebookやTwitterなどで依頼した経験などを騙る人も少ないでしょうし、ブログなどで語られているものもどこまで真実かわかりようもありません。
私の家は昔からとある地方の特殊な家系で在り、家では守り石という石を守る一族のためか、私や母、主に女性は霊能力的なものを持つことが多く、私も小さいころからその守り石が燃えているように見えたり、石から小さな声が聞こえたりと、不思議な経験をすることが多く、むしろそうした不思議な超常現象と言われることが私たち家族にとっては普通の、雲が来れば雨が降る、といったほどの生活の一部であったのです。
大学入学で東京に出てくるまでは霊と共に生活することが当然だった私の生活でしたが、都会に出てくることでそうした感覚が薄まったのか、自分でも以前なら避けられた霊的な危険地域などでも感覚が働かず、必要のない危険や障害を負うようになったりもしました。 大学卒業後はそのまま都会で就職しましたが都会の生活になじめなく、結局は地元に帰って静養し、またあの感覚を取り戻すことができるようになったのです。
つまり私にとって霊や呪いという、言葉で表現するには少々難しいものですが、そういうオカルトと呼ばれるものはむしろオカルトではなく、積極的に理解し、共に生きていく方法を学んでいくべき存在なのです。 そうしてオカルト、心霊現象や心霊スポットと言われる場所にも足を運び、時には霊能力があるといわれている人にアポを取って話を聞きに行ったりもしながら、実は霊よりももっと知らなければならないものは人間そのもの、なぜならば霊が人間が死んだ後の者であるならば、人間の業にこそ霊はやどり、命を落とした後、落とし方にもよるでしょうが成仏するものとしないもの、神とあがめられるもの、霊として残る者の差異があるのかもしれない、私はもっと深い深い人間の業のようなものが現れる世界を知りたくなったのです。
人間の業、欲望ともいえるのかもしれんが、それを具現化したものが呪いと私は思いました。口述しますが呪いの世界の第一人者である呪鬼会のサイトにはこうあります「呪いの歴史は人類の歴史のそのものである。人類は生まれながらにして呪いと共に進化を重ねてきた。」つまりは呪い、願う、というその気持ちが猿から類人猿を得て今の我々の姿へと変容をもたらしたのではないでしょうか。
何十億年も昔の世界の単純な単細胞生物から細胞分裂を重ねて今の我々になった、という進化論、その単純な単細胞から我々の用は複雑な生命体へと変化するに必要なものは大よそ想像以上のまさに神の仕事といっても過言ではないほどの力が働いたのではないでしょうか。それを気が遠くなるほどの時間が自然に周りの環境に合わせた結果、今のようになったのだ、とまるで偶然の産物のように解釈することは一見科学手で在りますが、私にとっては重大なピースが欠けたようなご都合主義的な解釈に捉えます。そこにあの呪鬼会の言葉である、呪いは人類の歴史である、という言葉が欠けたピースに埋め込まれないでしょうか。
ある時、アメーバか、一匹の猿か、とにかく何かが、もっといい暮らしをしたい、進化をしたい、と願った、その願いが次の世代へと受け継がれていき、いつかその願いはその種の願いそのものとなり、巨大な力となってその種を人類まで押し上げたのだとしたら。
人類は生まれながらにして呪いを学んだ、いえ、パラドックス的解釈として呪いを学んだ種が人類へとなりえたのではないでしょうか。そう考えると、現代科学が発達し「呪いなんて」と考える我々こそが人類の歴史を俯瞰から見たときに少数派で在り、嘲笑を受け継べき存在ではないでしょうか。
私はそうして呪いをもっと学びたい、そういう呪い代行の世界に大きな興味を抱き、呪い代行の中で一番歴史と実績があるといわれている呪鬼会に取材と実際に入会し、どのような人が運営しているのか、また呪いをかける人、呪いを依頼する人、呪いをかけられた人、呪い代行に関わる全ての人のその歩んできた人生や考え方などを知りたいと思うようになったのです。